先日、先輩Tさんから突如電話があり出たところ、「N教で痛い番組始まったから見てみそ」とのこと。テレビを点けてみると確かに痛い番組が。二人して相方さんと嫁さんを放置しながら、痛いよなだとかメールを交わしつつ見ていた。ちなみに、その後知ったことだが、向こうの嫁さんはその時間相方さんと電話中だったそうな。相方さんと向こうの嫁さんは親友なのだ。
詩というものの原点は朗読であるという意見は正しいし間違ってはいないと思う。文字の形やら配置で見せるものではないし、言葉として流麗でなければそれは詩とは呼べない。
だがしかし、誰が読んでも読めるような詩でなければそれはまた詩ではないのだ。詩のボクシングは作者が読み上げる形式を取っているが、それを他の人が読むと意味がなくなるという詩が多い。その人だけの読み方でしか感動を与えられないものは詩ではなく唄の分野だ。
結局、この番組は詩の朗読ではなくて一芸を競うだけのコンテストなのだ。詩のボクシングではなくて言葉遊びの僕ソング。