2003-10-13-Mon とりあえず。 [長年日記]

_ 1段落。

結果次第でまた忙しくなったりするけど、落ち着いたのでデートをする。普段どおりブラブラしてると、「歩くの好きやねぇ」としみじみといわれてしまった。そりゃお金持ってなかったら歩くか座ってるしか出来ません。

相方さんに話していなかったことと話すことをためらっていたことを話した。少しスッキリした。ちなみに前者と後者の違いは前者は話すタイミングをある程度決めていただけで話す気はあったのと、後者は話す気はなかったという違い。1つ告白すると流れででてきちゃったんだよね。

_ [F1]日本GP。

久しぶりにドライバーズチャンピオンが最終ラウンドにもつれこんだ。それはポイントのレギュレーションがかわったせいもあるだろうが、王者ミハエルを脅かす若手の台頭があったからも理由の一つだ。試合前、多くのメディアで囁かれていた1つの噂があった。「ミハエルは優勝しなければ今季限りで引退する」と。

琢磨の復帰やらトヨタの3、4位スタートやら日本GPを盛り上げる要素も加わって(だけどパニスやダ・マッタには悪いが俺はトヨタが嫌い)、2位のライコネンが優勝絶対条件の中で8位スタートという不利を見せながらのスタートとなった。

鈴鹿という舞台にはやはり悪魔が棲んでいた。モントーヤのリタイア、トゥルーリのリタイアなどの条件によりするするとライコネンは3番手に2番手は同チームなので居ないのも同じ1位のバリチェロに何かあれば絶対条件の優勝をクリアしてしまう。逆にミハエルは琢磨との接触で順位を大幅に落として自力優勝の8位から大幅に後退した。友達とひょっとするとひょっとするかもと言い合ってテレビを見ていた。

だけど、王者はきっちりと食いついて8位に浮上、チームメイトのバリチェロもきっちりと1位を守りきった。王者ミハエルの前人未踏6度目の優勝が決まった。奇しくも、あの天才セナが死んだ歳と同じ歳に偉業を達成できた。

レース後のコメントでミハエルは「ホッケンハイムやブダペストでは、我々は多くの人に批判されていた。そして今、こうして戻ってきたよ。我々は決して諦めない、常に戦っており、それがフェラーリチームの強さの1つだと思う。フェラーリの誰もがそのような気持ちを持っている。とても大きな家族だし、その一員であることを本当に誇りに思う」と答えた。そこに最愛の母を亡くしても家族がいる限りは戦いつづけるというミハエルの意思が見えてきた。

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にし (2003-10-14-Tue 06:57)

何を話せたんでしょ。ところで、相手がその人でなくても話すとスッキリしてしまう事って多々ありませんか(…無いか…)

どぉ (2003-10-14-Tue 09:40)

あるねぇ。