僕が鍼灸学校に行っているというのはこの日記を読んでいる大多数の人が知っていると思いますが、僕は今決断の時に立たされています。
学校で放課後教わっている勉強会の先生が自分の治療院で月二回程度日曜日に勉強会をするという話を出してきたのです。人数は10人。僕は現在ほかの団体の勉強会に行っています。となると、時間的にも金銭的にも厳しくなってくるのです。
今行っている団体で習っている鍼灸のスタイルと放課後に教わっている鍼灸のスタイルはまったく違うものでなかなか両立することはできません。となるとどちらかを選ばないと駄目なわけですが……やはり悩みます。したがって、出した結論は療法の治療を受けて納得したほうを選ぼうと結論しました。
その旨をメールで伝えたところ、こういった御返事が。
「治療をするのはかまいませんが、僕は治療が決め手になるとは思えません。"自分が共感できたものに決める"というスタンスを僕はとってきました。各団体のトップは資質がすばらしいものがあるというのもありますが、自分の治療を信じて疑っていないことです。僕は師匠の治療を受けていません。ですが、自分の師匠から教わった治療を疑っていません。自分がこれだと共感できたからです。また、治療を受けた場合その人を超えることが難しくなります。僕は僕と一緒に勉強をする人を仲間だと思っています。そのため、僕を超えてもらうつもりで来て貰いたいのです。僕が思うのは、信じる道は同じでも、自分の道を歩む事だと思います。今の自分の気持ち・思いに正直に、まず自分の胸に手を当てて、本当にしたい鍼灸の勉強は何なのか、考えてみるのがいいと思います。自分が心の底から信じる事が出来る道は何なのかということを、”自分の思いから”決める事です。その結果もう一つの団体で続けることがあれば無理して僕の勉強会に来る必要はありません。
僕は僕の"思い"を書かせてもらいました。もし、一緒に勉強する仲間になるのであれば、お互いのことをよく知っておいたほうがいいと思います。ぜひ、あなたの”思い”をまた返信ください。」
僕の"思い"は自分の治療をはやく確立することです。そのためのベースを何にするかを迷っています。時間が決められてはいますがもう一度自分の求める道を考えてみたいと思います。
全部奇麗事に見える('A`)
理想や夢はたいてい奇麗事に見えるものじゃないかなあ。理想や夢がない仕事は長く続かないと思うよ。照れくさいから表に出さない人も多いかもしれないけど、みんなそれぞれ自分なりの言葉に換えてそういうのを大事に抱えているような気もします。
まぁ、そうそう奇麗ごとばかりでは行けないとは思うけど、目指している世界は「人を治す」世界なので、やっぱり自分の信念は奇麗事じゃないと嫌かな。「お前らは俺の金儲けのための人間や」なんて思いながら治療されたくないもの。